「成田の映画を撮るのが最大の目標」と断言! 『古都』のSaito監督 ヒューマックスで舞台あいさつ♪ ㊤ 

成田出身Yuki Saito監督の長編商業映画デビュー作『古都』全国公開2日目の12月4日、成田ヒューマックスシネマズで、監督自らが舞台あいさつに立ちました。

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舞台の上でSaito監督は、「成田が舞台のメジャー映画を撮ることが、最大の目標」と、成田への熱い想いを語りました。

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小泉一成成田市長も登壇し、「『古都』の中で、路上ですれ違った着物のおじさんは京都市長じゃなかったかと思うのですが、成田を舞台にした時には、私もちょっとでいいので、出していただきたい」と、会場の笑いを誘い、「成田をあげて、監督を応援していきたいと思います。『シン・ゴジラ』『君の名は』を抜くように、みなさんもPRをお願いします」と盛り上げました。

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Saito監督も「市長も、その時まで市長を続けていただければ、ぜひ出ていただきたいと思います」と切り返し、会場を沸かせました。

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進行はソラガールさん

 

【母校の後輩も感激】

会場には、Saito監督の母校・成田国際高校の生徒の姿もありました。

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母校の制服を見つけて笑顔のSaito監督

「定期テスト前だけど、どうしても監督に会いたかった」という3年の井尻葵さん。
卒業後は、監督と同じように、アメリカに映画と英語の勉強に行くそうです。
舞台あいさつ後、Saito監督と話すことができた井尻さんは、「気さくな方で驚きました。監督が大先輩で幸せ。成田の映画を撮るとき、私も参加したい。有言実行したい」と目を輝かせました。
『古都』については、「原作は読んだことがないので、予備知識0で映画を観ました。セリフを少なくするかわりに、音でいろいろな表現をしているところが特に印象深かったです。日本の伝統芸能や伝統品を、外国の人にもわかるように、言葉じゃなく映像だけですごく表現している。パリに留学した結衣ちゃんには、監督自身の経験を照らし合わせてるんだなって分かりました。日本を離れて外から日本を見る視点・・・。舞ちゃんが、パリで日本舞踊を踊った後に、自信に満ち溢れていく姿が心に残りました」と、Saito監督が伝えたかったことを、しっかりと受け取っているようでした。

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【Saito監督 舞台あいさつ】

監督:映画は、お客様に観てもらえて、初めて産声を上げるというか成長させてもらえるものだと考えると、大事な公開2日目を、生まれ故郷である成田で、成田の皆さまと迎えられたことが感慨深いです。
本日はお越しいただき、ありがとうございました。

進行:今のお気持ちは?
A.成田での1つ1つの積み重ねで、今の自分があります。
成田で上映したいというのは、配給会社に僕がわがままを言ったという形になるんですけど、故郷のみなさんに、成田に育てていただいた今の自分を見ていただきたかった。
映画監督なので、映画を通して見ていただきたいと思いました。
受けていただいたヒューマックスさん、市をあげて応援してくださった成田市に感謝いたします。

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進行:『古都』の中には、自分の才能を信じて世界に飛び出していく設定がありますが、監督の海外体験と関係あるのでしょうか。
監督:ありますね。
下総の高岡出身なんですが、田圃の真ん中で、犬の散歩をしながら、毎日、空を飛ぶ飛行機を見上げては、あそこには夢がいっぱいつまってるんだな、自分もここから出たいな~と、川の土手で妄想を膨らませていました。
成田国際高校はじめ成田という町が、アメリカをすごく近くに感じさせてくれたと思います。
高校卒業後、意気揚々とアメリカに行ったんですけど、理想と現実はやっぱり違って、ハリウッドに集まってくる本気の人たちとぶつかった実体験が、映画に投影されています。

何より外に出たことによって、お前はどこから来たんだ?日本は?成田は?どんな町だ?って問われました。
世界中から集まってきた人は、それが言えましたが、言えない自分がいた。
師匠に「お前は一生懸命アメリカ人になろうとしているけど、このままではサクセスしないよ。
日本人のアイデンティティーを見つめて、その目線をもって映画を撮るのは、アメリカ人にはできないことで、あなたが撮る意義があるけど、日本を全く知らないで、ハリウッドに住んでいるだけで安心しているようじゃだめだ。今すぐ日本に帰れ」と言われたことが、その時は帰りたくはなかったけれど、帰ってきたきっかけです。
日本を撮りに帰ってきました。

デビュー作、映画界は失敗したら次はない厳しい世界です。
けれど3年前にこの話をいただいたときに、避けて通れないと思いました。
この作品を撮った後に、映画監督としての本当のスタートがあると思って臨みました。

(続く)

この記事を書いた人

Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。