今月13日の名古屋ウィメンズマラソンで日本人最高の2位となり、同17日に、8月のリオデジャネイロ五輪女子マラソン日本代表選出が発表された、成田市出身の田中智美選手(第一生命)が、さっそく3月22日、成田市役所を表敬訪問してくれました~♪
【成田市役所玄関で大歓迎!】
庁舎玄関前に集まった大勢の職員を見て、驚いた表情の田中選手。
その中に、成田中学校時代の担任の先生を見つけると、お互いにこの表情!
拍手の嵐の中、小泉一成成田市長と伊藤竹夫成田市議会議長から、花束が贈られました。
【成田市民で良かった~】
庁議室では、自宅がご近所で、幼いころから田中選手をよく知る上田信博市議会議員が、田中選手と出席者の紹介をしました。
上田議員は「私の娘とは1才違いですが、同じ幼稚園でした。その頃からマラソン大会は、いつも1位でした。いずれはすごい選手になるだろうと思っていましたから、やってくれたという思いです」。
田中選手は「こんなにたくさんの方に祝福していただけるとは思っていなかったので、ビックリするとともに、ホントに成田市出身で良かったな~!と思いました。成田に帰ってきたとき、駅にバーンと横断幕があったり、母校にも横断幕を用意していただいて、ありがとうござい
ますという気持ちでいっぱいです。また号外まで出していただいて、市長自ら配ってくださって、『監督~!成田ではこんなことが』と報告し、スタッフも一緒に喜びました。厳しい練習が始まりますが、こうして応援してくださる方々がいてくださるので、またこのようなごあいさつが出来るように頑張ります。応援よろしくお願いいたします」とあいさつしました。
小泉市長は、「昨年は、世界選手権代表に選ばれなかったという予想外の結果でした。(成田高校出身のスポーツ解説者)増田明美さんにお会いしたとき、増田さんが『智美ちゃんは絶対にオリンピックに行けますよ』と断言してくださいました。その言葉が心強く、願いどおりになりました。名古屋でのあのデッドヒートには、成田市はもとより、日本中が勇気と元気をもらいました。(田中選手の母校)成田小学校の卒業式でも田中選手のことを話させていただきました。母校からオリンピック選手が生まれたことは、在校生にとって誇りです。充分体調を整えて、故障せず、完走目指して頑張ってください。パブリックビューイングで成田市をあげて応援させていただきます」。
伊藤議長が「若い子どもたちが、田中選手の後について一生懸命頑張る、そのことがとても大きいと思います」と話すと、田中選手は表情を引き締めて、大きくうなずいていました。
成田中学校3年時担任の関口先生は、田中選手が名古屋で準優勝し、リオ五輪の日本代表に選ばれてから、元3年B組のフェイスブックが大賑わいになったことに触れ、「元3B一丸となって応援しています」とエールを送りました。
母・きみ子さんにうかがうと「小さいころから、お友だちがいっぱいの子でした。お友だちに恵まれていて『ありがたいね』と言っていました。みんなが一生懸命になれるクラスにいつもいました。3Bもそうでした」と、田中選手とともに謙虚なお人柄があふれる口調で、エピソードを聞かせてくださいました。
【成田産コシヒカリ100㎏&干し芋50袋&うなりくん&勝御守♪】
成田市からは、うなりくんのぬいぐるみとキーチェーン、成田山新勝寺から「勝御守」が贈られました。
JA成田市からは、お祝いとして、成田産コシヒカリ「ハイ、おかわり」100㎏と、粘りの強い成田産クイックスイートの干し芋「甘芋ん」50袋が贈られました。
田中選手は「自分で取り寄せるくらい、干し芋が大好きなんです! お米もたくさん食べて走るので、嬉しいです!」と笑顔を弾けさせていました。
【歓談ではデッドヒート秘話も】
歓談では、やはりまず、あのデッドヒートの駆け引きについて質問が出ました。
「小原選手に追いつかれた時がいちばんきつかったです。どうにか粘っていたら、相手のペースが落ちてきたので、自分も落ち着くことができました。どちらが仕掛けるか、様子をうかがいながら、どこかどこかと思っていたら、あんなにギリギリになってしまいました。応援が力になりました」と、笑顔で秘話を話してくれました。
小泉市長が、「昨年の世界陸上に漏れた時、いっさい不平不満を言わなかったのが、すごいと思いました」と話しかけると、「私よりも監督が声を出して言ってくださったので・・・」とニッコリ。
今回の沿道の声援については、「私はだいたい聞こえるタイプです。『智美さん!』『とも!』っていう声援が多かったと思います。大学時代は、千葉真子さんに似ていると言われて、あだ名が『千葉ちゃん』だったので、『千葉ちゃん』という応援もありました」と、意外なエピソードも。
小泉市長が、「成田のPOPランにも来てください」とお願いすると、「ぜひ! 私を見て、子どもたちが走りたいと思ってくれたら、いちばん嬉しい」と即答してくれました♪
【報道陣のインタビューに答えて】
―代表に決まった時は?
A.ほっとしました。支えてくださった人たちに「ありがとうございました」という気持ちでした。
―成田市出身初の日本代表です。
A.まだ出ていないのは知っていて、「ぜひ自分がなりたい!」と思っていたので、嬉しいです。狙っていました!こんなに祝福していただけるとは思っていなかったので、新たにパワーをいただきました。本当に嬉しい気持ちと、リオではもっといい走りができたらいいなと思います。
―成田時代のランニングコースは?
A.今の美郷台小学校のまわりや、トリムコースでした。
―座右の銘「疾風に勁草(けいそう)を知る」 (激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられるの意から、困難や試練に面した時に、その人の強さが分かる)には、どこで出会われたのですか?
A.千葉英和高校の時に、合宿に来てくださった先生に教えていただき、私だけでなく、部全体の座右の銘になりました。
―今後の予定は?
A.4月下旬から6月下旬まで、アメリカのボルダーで合宿します。その後、もしかしたら日本の阿蘇で合宿するかもしれませんが、まだ未定です。アメリカから直接リオに行くことになるかもしれません。でも、できれば成田空港からリオに行きたいですね。
―リオの目標は?
A.本気でメダルを狙っているので、一番きれいな金メダルを目指して頑張ります。
―成田の子どもたちにメッセージをお願いします。
A.私は、夢を思い続けると叶うと思っているので、夢に向かって頑張ってもらいたいなと思います。
表情豊かに、終始、笑顔だった田中選手。
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この小柄で、気配りにあふれ、フンワリしたたたずまいからは、とてもあの激走レースを制した雰囲気は感じられませんでしたが、デッドヒートの裏側をうかがって驚きました。
観ている側は、最後までハラハラしましたが、田中選手の中では、勝利を確信していたんだなと思いました。
相手選手のペースが落ちたのを見極め、自分も落ち着けたと話した田中選手。余裕があったことが分かりました。
横浜国際で外国人選手とのデッドヒートを制した時も、双方きついながら、相手の息が苦しそうだったけれど自分は大丈夫だったと話していました。
今回の日本人最高位は、たまたまの結果ではなく、必然だと思い知りました。