2018にはばたけ!①【ぴーぷる】長谷川凌選手(水戸ホーリーホック) FCボレイロ成田から2人目のJリーガー誕生! 

本年度2人目、またもや成田出身のJリーガーが誕生しました!
水戸ホーリーホックに入団が決まったゴールキーパー長谷川凌選手です!

長谷川選手は、FCボレイロ成田出身。
FCボレイロ成田からは、モンテディオ山形の永藤歩選手に続き、2人目のJリーガーとなります。
吾妻中学校時代は順蹴FAに所属。
超強豪・市立船橋高校の守護神を2年生の秋から務めた191cm・82kgのGKです。

【誕生~FCボレイロ成田時代】

2歳上の姉、2歳下の弟の3人きょうだい。
3215g、49.5cmと、3人の中ではいちばん小さい赤ちゃんだったとは驚きです。
長谷川選手はスクスク大きくなり、幼稚園以降は「ずっといちばん後ろでした。6年生の時はランドセルが小さくて近所の人に笑われてました」と母・和貴子さん。
バスケット選手だった父、バレーボール選手だった母は、それぞれの競技を勧めましたが、長谷川選手が選んだのは、父との散歩の途中、近所の吾妻小学校で練習を見かけたサッカーでした。
5歳でFCボレイロ成田に入団。
小学校時代はボランチやトップ下を担当し、ゴールキーパーの経験はありませんでした。

【順蹴FA時代】

吾妻中学校には当時サッカー部がなく、長谷川選手の5・6年を指導したボレイロの渡辺源蔵監督と三戸監督が親交ある順蹴FAに入団。
中学入学時すでに173cmあった長谷川選手に、三戸監督は将来性を鑑み、キーパーへの転向を勧めます。
「ポジションにこだわりがなく、むしろ未知のポジションに魅力を感じた」という長谷川選手はキーパーに転向、すぐに頭角を現します。

U13時代、出場こそしなかったもののU15夏の関東大会にベンチ入り。
U14時代は、年代別日本代表といえるJFAの「エリートプログラム」指定選手となり、地方の地元高校と対戦し、勝っていたといいます。
U15時代には、全国から10人ほどしか選ばれない「ゴールキーパープロジェクト」の一員として強化練習に参加。
順蹴FAより県選抜の練習の方が多くなりました。

【市立船橋高校時代】

順蹴時代に全国区となった長谷川選手は、全国優勝多数の超強豪・市立船橋高校サッカー部に入部。
同部は、各学年30数名の少数精鋭チームで、トップ・B1・B2の3チームに分かれて活動しています。
プレミアリーグ(全国上位20チームの大会)にはトップチームが、県リーグにはB1チームが出場。
長谷川選手は1年のルーキーリーグにスタメンで出場したのを皮切りに、県リーグには1年から出場していました。

2年時の県リーグでは、長谷川選手がキーパーを務めた試合は負けなくなったことが認められ、トップチームに昇格します。
「自分が出ていいのか・・・」と思った長谷川選手でしたが、2年の秋、プレミアリーグのデビュー戦・FC東京戦でPKを阻止し、引き分けに持ち込みました。
以来、強豪・市船のキーパーを務めることとなりました。

【人間的に成長させてもらった高校時代】

市船での3年間は、長谷川選手にとってあまりにも大きなものとなりました。
「技術的なことは何もわからない素人という状態から入って、キャッチングは普通の人くらいには成長できたかなと思います。
キーパーとしてのアベレージは上がりましたが、足元の技術はまだまだです」。

練習は技術を必要とするグローブを、試合ではしっかり前に落とせるグローブを、と使い分けるそう。

しかし、長谷川選手にはもっと大きな問題が・・・。
「1年生の頃は人間性を指摘されることがあり、チームに迷惑をかけることが多かった。
この3年間でいちばんやらかしたのは自分だと思います」。
最初は何を言われているのかも分からなかった長谷川選手でしたが、キーパーコーチに粘り強く指導されるうちに、徐々に感じるようになり、「自分を変えるという観点を持っていなかった自分でしたが、2年になったころから、指摘されたことに100%取り組むようになりました」。
その結果はトップチームの正キーパーを勝ち取るという形で現れました。
「人としての成長が必要だった」と、今では冷静に自己分析します。

【食べる!】

「よく食べます。ラーメンなら1kg食べるんですよ。全盛期は弁当のほかに、毎休憩時間に食べるおにぎりを持たせました。食べられない選手は大変だったようですから、食べられるのがよかった。好き嫌いがないのもよかった」とお母さん。
長谷川選手に好きな食べ物をうかがうと「肉とご飯」と即答(^^♪

【超ポジティブ! 切り替えの早さも武器!】

1年・2年と先輩たちに連れて行ってもらった全国高校サッカー選手権大会。
昨年11月23日の千葉県大会決勝で、市立船橋高校は流経大柏高校に敗戦し、全国出場が叶いませんでした。
試合終了直後は、「憧れの全国舞台に行けない・・・。夢は終わった・・・。支えてくれた人の思いを感じながら、申し訳ないという思いでいっぱいでした」という長谷川選手ですが、その夜には友人と試合のビデオを観戦し、改善点を洗い出したといいます。
「プロという次のステージがあるので、引きずっててもいいことは何もない」。
仲間たちも全員、大学でサッカーを続けるそうです。

専門誌で「ミスをした後もプレーの質が落ちない」と評された長谷川選手。
お母さんはじめ、周りの大人は、あまりの切り替えの早さに心配する向きもあるそうですが、この超ポジティブシンキングは、まさにプロ向きといえそうです。

【独占インタビュー】

―水戸ホーリーホックに入団が決まった時のお気持ちを聞かせてください。
A.自分のレベルには釣り合わない部分があると思いますが、チャンスをいただいたので、そこで結果を出したいと思いました。

―プロになりたいと思ったのはいつ頃ですか。
A.サッカーを始めた幼稚園の時からあこがれはありましたが、現実的になったのは、市船に行けることになった時です。

―キーパーは独特なポジションだと思います。シュートされたボールをキャッチングした後、しばらくボールを抱え込む姿が印象的ですが・・・。
A.ゲーム全体が一番見えているのは自分なので、コーチングで守れます。
味方のコントロールも重要です。ずっと声を出しているタイプです。

ボールを抱え込むのは、しっかりキャッチしていることをアピールすることで、仲間に安心感を与えられることと、チームのラインアップの時間を作るという意図がある場合もあります。


キーパーの役割の一番はボールを止めることですが、チームの状態を見て、自由自在に配球できるようになるのが課題です。

―シュートに対して抜群の反射神経ですね。
A.自分では反応は遅いと思っています。
反応が早すぎてオウンゴールになってしまうこともあるので、自分は反応が遅い分、至近距離でも体ごとぶつかっていきます。
Mなので(笑)、痛いのがきらいじゃないんです(笑)。
もっと来い!って思います(笑)。


プレー中は痛さを感じません。
チームの役に立てた方がうれしいです。

―高校時代、いちばん心に残っている試合は?
A.プレミアリーグのデビュー戦です。チームの役に立てたという意味で。
先輩じゃなく自分が出してもらって、絶対に結果を出さなきゃいけない舞台で出せたのがよかった。

―今までのチームに対して思うことをお願いします。
A.自分は成田で育ち、ボレイロ・順蹴と関わってくれた人が多い。
その人たちの思いを考えながら、プロで頑張りたいと思っています。
そういう人たちがいるから今の自分がいる。
そういうことを思いながら頑張りたい。

ボレイロは、サッカーを好きになれた場所。楽しくできました。
それだけでなく、技術の向上、チームメイトを大切にすることも教えてもらい、保護者、コーチのみなさんに気を遣ってもらって成長できた場所です。

順蹴では技術より勝負にこだわること、球際にこだわることを教わりました。
負けてはいけないという精神が身に付き、市船でも役に立ちました。

市船では人間性が成長できました。
みんな上手いから、その先を求められます。
今だけではなく先を見据えて、1人で生きていける、違う道でも生きていける人間を育てるという観点で育てていただきました。

―アピールポイントは?
A.身長を生かしたハイボール処理。体ごと止めるスタイル。
ケガしない体です。多少のことはありますが、ケガとはいえないくらいです。

―水戸ホーリーホックの練習には参加した?
A.引退した後、2泊3日で参加しました。
自分の技術のなさ、身体をもっと作っていかないと、と思いました。

―意気込みをお聞かせください。
A.試合に出るのは難しいと思うので、まずは基礎のアベレージを上げていきたい。
体の強化は目に見えるので、自分と向き合える1つのポイントだと思っています。

―どんな選手になりたいですか? 憧れる選手、目標とする選手がいれば教えてください。
A.愛され、応援される選手になりたいです。

【母の思い】

厳しい世界に送り出す母・和貴子さんは「自分がすべての世界。自分しかいない。みんなへの感謝も忘れずに、キーパーは年がいっても出来るポジションなので、健康管理をしっかりして、できるだけ長く続けてほしい」と話します。

お母さんによると長谷川選手は「負けず嫌いで頑固。目立つことが好きなお祭り男(笑)」。
強い選手に、負けず嫌い・頑固はつきもの。
モデルばりのルックスに、精神的なタフさ、切り替えの早さ、冷静に自己分析する謙虚さを持つお祭り男。
プロとして愛される要素をいくつも兼ね備える長谷川選手。
水戸ホーリーホックのファン掲示板には、チーム愛があふれています♪
少しでも早く第一線に出て来て、ファンのみなさんに愛される選手になってください!

手を見せてくださいという記者の振りにも快く応じてくれました♪

頑張れ!長谷川凌選手!

写真協力:市立船橋高校サッカー部保護者様

この記事を書いた人

Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。