【地名の変遷2】
〈鋪里新田〉
大須賀川支流の下田川上流にあった村。佐倉牧のうちの矢作牧に接した林を開墾した新田で、享保十六年(一七三一)に鋪里新田の名で検地が行われ、村が成立した。村名は南敷村・馬乗里村両村の名から敷(鋪)と里の一字をとったもの。村高は九七石余で、それぞれ五二石余と四五石余であった。明治になってから村高は南敷村と馬乗里村の本村に組み入れられ、地名は消滅した。その跡地は大沼と通称されていたが、平成十八年(二〇〇六)に独立して大字大沼となった。
〈南田新田〉
大須賀川支流の下田川右岸にあった村。佐倉牧のうちの矢作牧に接した林を開墾した新田で、享保十六年に南田新田の名で検地が行われ、村が成立した。村名は南敷村・桜田村両村の名から南と田の一字をとったもの。村高は三九石余で、それぞれ九石余、三〇石余であった。無民家。明治になってから村高は南敷村と桜田村の本村に組み入れられ、地名は消滅した。
〈東野新田〉
取香川中流右岸にあった村。東金山村と野毛平村の二か村の入会地を開発した新田で、享保十六年に東野新田の名で検地が行われ、村が成立した。村名は両村の名から東と野の一字をとったもの。村高は六石余で、東金山村分が一石余、野毛平村分が四石余であった。無民家。明治になってから村高は東金山村と野毛平村の本村に組み入れられ、地名は消滅した。
(北囲護台 小倉 博)