「成田の人に感謝を伝えたかった」 田中智美選手がリオ報告会

9月9日、リオデジャネイロオリンピック女子マラソンに出場した、成田市出身の田中智美選手(第一生命グループ)が、成田市役所を訪れました。

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玄関前で、職員が拍手でお出迎え。

お礼を述べる田中選手。

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【夢と希望をありがとう 田中選手に感謝状】

 

小泉一成成田市長は「20人以上が棄権した過酷な状況の中、完走された田中選手に、あらためて精神力の強さをうかがうことができました。成田市民にとっても誇り。ゴール後すぐコースに一礼した姿に、多くの市民が感銘を受けました。これから、成田もロードのシーズン。時間が許せば、ぜひ市民と走っていただきたい」と、成田初のオリンピアンに感謝状を贈りました。

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バックは、母校・成田中学校の後輩たちからのメッセージ♪

 

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伊藤竹夫成田市議会議長も「市民の心に残るオリンピックでした。今回の経験を十分に活かし、各方面でのご活躍を期待します。子どもたちに夢と希望をありがとうございました」と讃えました。

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【成田に生まれてよかった】

dsc_7587田中選手は、「なぜ、もっと走れなかったんだろうと悔しい結果になってしまいましたが、たくさんの方が応援してくださって走りきることができました。
成田で田中智美展を開いていただいているのを知って、頑張ることができました。
パブリックビューイングを3か所もやっていただき、幸せな気持ちです。成田に生まれてよかった」と、お礼を述べました。
レース直後のインタビューで「成田」の名をあげ、感謝の気持ちを示したことについては、「成田の人たちに、どうしても感謝を伝えたいと思っていました。インタビューで言いたいと、前から思っていました」と話してくれました♪

【レースを振り返って】

歓談の中で、田中選手は問いかけに従って、ありのままにレースを振り返りました。

リオまでの道のりも充実したもので、練習も積めていました。
本当にメダルもいけると、自信をもってスタートに立ちました。
ところが、走り出すと、自分でもびっくりするくらい身体が動かなかった。
今まで5回マラソンを走ってきましたが、練習がしっかりできれば、本番もその通りか練習以上の走りができてきたのに、今回は違いました。
プレッシャーは感じないタイプですが・・・。
過去4回は15㎞で苦しくなったのですが、リオは10㎞で苦しくなって、その苦しさも今までと違いました。
走りきれる?と思うくらいでしたが、たくさんの方々が応援してくださって、走りきることが出来ました。

給水所が一番怖い。
みんな取りたいから、すごい争いになります。
給水のダッシュについていこうとしたら、体力を使ってしまいました。
リオは手渡しOKだったけど、手がすべって取れないところもありました。
止まって取る選手もいて、ぶつかってしまう。
ドリンクは、それぞれ特製なので、選手は人に教えたくないものですが、今回は日本人3人で教えあって、いざという時はシェアしようということにしていました。
トップ集団と離れた時、山下監督がかけてくれたのは「先頭集団の射程圏内にいるように!」。

治安の問題があり、コースは全部試走できず、車で回ったりしましたが、渋滞がすごかったり、一方通行だったりで、10㎞見るのに2時間かかったりしました。
本番では、最後の方が「ここコースなの?」と思うような細い道もありました。

マラソンのコースは選手村から遠かったので、マラソン選手はスタート近くのホテルに泊まりました。
海沿いで「危ないかも?」と、監督に自転車で付き添ってもらって試走しましたが、全然危ない感じはなく、1人でも試走しました。
いろいろと言われていましたが、とても良い街で、人も親切で良い人ばかりでした。

蚊のことも言われていたので、強い虫除けスプレーを用意していきました。
練習では刺されませんでしたが、レース前に刺されて「熱が出たらどうしよう・・・。でも大丈夫でした」。

【リオ秘話 レース以外に収穫も】

dsc_7564レース以外の質問にも答えてくれた田中選手。
興味深い話ばかりでした。

食事は、日本の栄養士さんがホテルのキッチンを借りて作ってくれたので、不自由はありませんでした。
レース後は閉会式まで選手村にいました。
食事は、ブラジル料理、アジアン、ピザ・パスタ・・・、たくさんあって、選ぶのが楽しかったです。
日本食は味噌汁だけでした。
スイーツもいっぱい置いてあって、「食べたいね~。でも長距離組は終わってからね」と我慢しました。
外国人選手の中には、スイーツをたくさん食べている選手もいて、競技は何かな?体重が落ちないように糖分を採る必要があるのかな?と、毎日キョロキョロいろいろ観察してしまいました。

タカマツペアのバドミントン決勝も見て、鳥肌が立ちました。
今までは、ほかの競技を間近に見ることがありませんでしたが、後で練習のことなど話す機会があり、勉強になりました。

レスリングの吉田沙保里選手ともお会いしました。
(成田高校出身の)増田明美さんとは、成田への思い入れで話が合いました。

閉会式は、雨なんて関係ない盛り上がり。
東京のパフォーマンスがいちばんすごかった。
子どもたちの「君が代」に感動しました。

オリンピックは、他の大会とは雰囲気が違いました。
ずっと目標にしていたオリンピック。
本当にオリンピックに来ているの?と不思議な感覚でした。
いちばん印象に残っているのは、苦しくて辛かったけど、やはりレースです。

田中選手から成田市にお礼。五輪選手サイン入りのお皿だそうです
田中選手から成田市にお礼。五輪選手サイン入りのお皿だそうです

【今後】

練習がしっかり出来たのに、走れなかったのは初めてだったという田中選手。
これから監督と原因をしっかり分析するそうです。
東京五輪を目指すかどうかは未定とのことでした。

今回は厳しい状況でしたが、レースに合わせる調整力、どんなレース展開にもついていける練習ができれば、日本人は戦えると思ったそう。
「東京の湿気の暑さは、ケニア選手にも厳しいと思うので、日本人が有利かもしれません」とも、話してくれました。

次回の試合は、11月27日(日)の「全日本実業団対抗女子駅伝」。
また、成田からしっかり応援しましょう!

【読者の方からご投稿をいただきました♪】

9月10日、中台運動公園陸上競技場で行っていた、高校陸上の支部大会で、田中選手をお見かけしました。
田中選手は、支部会が行われていることをご存じなく、練習にいらっしゃったそうです。
関係者にお願いされたらしく、ご挨拶してくださいました。

ここで大会に出ていたのが懐かしい。
その頃は遅い選手だったけど、そのころからオリンピックに出たいという気持ちは持っていて、頑張ったら夢がかなって、リオオリンピックに出場することができました。
大会に出ているみなさんもがんばってください。

このような感じで、高校生を励ましてくれました。
※ご投稿ありがとうございました!

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この記事を書いた人

Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。