FCボレイロ成田出身 永藤歩選手が「モンテディオ山形」に加入! ②

【取材陣の質問に答えて】

DSC_5721Q.モンテディオ山形に加入が決まった瞬間の気持ちは?
A.Jリーグは、小さい時からの夢だったので、うれしさでいっぱいでした。

Q.いつからサッカー選手になりたかった?
A.小学校の時です。Jリーグの試合を観に行って、自分も大きな舞台でやりたいと思いました。

Q.モンテディオ山形の印象は?
A.いちど練習に参加した時、とっても雰囲気、コミュニケーションの良いチームだと思いました。

Q.どんな選手になりたいですか?
A.自分は前の方の選手なので、点を取ったり、チャンスメイクで活躍したいと思います。

Q.プレースタイルと自分の長所・短所は?
A.自分はスピードが武器なので、自分でどんどん仕掛けていくだとか、そういうプレーを増やすようにしています。ボールを持った時に、下手くそさが出るので、どうカバーするか、自分の生き方を考えています。

Q.あこがれの選手は?              A.あんまりいません。
Q.対戦したいDFは?                 A.・・・いないです。

Q.J2は出場機会も多いと思いますが?
A.1年目から出る勢いで、出場機会をもらったときに、チャンスをつかめるような努力をしていきたいと思います。

Q.将来の目標は?
A.厳しい世界なので、上の目標を見つけないと成長できないと思います。
日本代表とか大きな舞台に一歩でも近づけるような選手になりたいです。

Q.サッカーを始めたきっかけと、所属の変遷について。
A.年中の時に、サッカーをやっていた兄と、父の影響で始めました。ボレイロには設立と同時に入りました。中学になる時、けっこうJリーグの下部ユースに落ちたんですけど、部活動では自分が成長できないと思って、順蹴を選ばせてもらいました。
イチフナは、中2の時に全国優勝をテレビで観て、あこがれがあって選びました。

Q.その時のイチフナの印象は?
A.最後の最後で勝てるんだなという印象でした。

Q.イチフナに入ってからの自分のプラン、自信はどれくらいだったのですか?
A.周りの選手は上手い人ばかり。僕は下の方でやっていたけれど、下手くそでも刺激を受けながら、努力しようと思っていました。

Q.高校時代に技術的に伸びたと思うところは?
A.技術面ではないですけど、武器であるスピードをどう生かしていくか、自分の生かし方を監督やスタッフに教わって、3年間努力してきました。

Q.50mをどのくらいで走るんですか?
A.高校時代は計っていませんが、中学時代は6,1秒でした。

Q.総体準決勝でのケガは?
A.左もも裏、大腿部を肉離れしてしまって。そこから3ヶ月ちょっとかかってしまいました。今は、良くも悪くもない感じです。

Q.レギュラーにはいつから?
A.2年からチャンスをもらって、出場機会を増やしてもらいました。

Q.小学校の時に最後まで諦めないということを培って、それがイチフナでも生きている感じですか?
A.1年の時は「下手くそ、下手くそ」とずっと言われてきて、先輩からも「おまえはボール持つんじゃない」とか、監督も厳しい言葉を言ってくれてたんですが、それが今の自分に繋がっていると思います。

Q.イチフナの10番を背負った最後の全国大会への意気込みは?
A.夏の総体は準優勝で終わってしまったので、冬は最後、チームが掲げた日本一を取れるよう努力したいです。(※編注:夏の全国総体では、準決勝戦での肉離れで、決勝には出場できなかった)

Q.サッカー以外に得意なことは?
A.(笑いながら)それが答えられないんです。

Q.成田でいちばん好きな場所、思い出の場所は?
A.小学校の時にずっと練習していた吾妻小学校のグラウンドです。

Q.いままでで一番印象に残った試合は?
A.小学校3年の時、5年生のリーグ戦に出ました。全勝同士でぶつかった最後の試合、最後まで負けてて、残り少しで1点取って、ロスタイムで逆転した試合です(編注:1点目はコーナーキックから永藤選手がヘディングで。2点目もドリブルで相手DF2人を突破した永藤選手が得点。この大会では3年生ながら得点王とMVPに輝く。詳しい様子は監督のブログで)。

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英語の先生に手伝ってもらって考えたという初々しいサイン♪
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Q.好きな言葉は?
A.「人のために頑張る」「支えがあるからこそプレーできる」

Q.サッカー少年たちへメッセージを。夢を実現するためにいちばん大切だと思うことは?
A.出来ないこと、自分もありましたが、挫折もあると思いますが、諦めずにやり続けることが大切だと思います。

Q.成田市民にメッセージを。
A.サッカーを続けられるのも、プロに行けるのも、支えてくれた方々のおかげだと思っているので、感謝の気持ちを忘れずに頑張りたいと思っています。
応援が支えになっているので、山形に行ってもよろしくお願いします。

※次回は、「FCボレイロ成田時代の永藤選手」をお届けします♪

この記事を書いた人

Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。