9月3日、成田市文化芸術センター・スカイタウンホールで、成田市国際交流協会創立30周年記念式典と記念講演会が開催されました。
【30年のあゆみ】
式典に先だち、30年のあゆみがスライドで映し出されました。
同協会は、数年の準備期間を経て、1986年(昭和61)に創立。
その年には、成田青年会議所の「少年の翼」が、中国の咸陽市を訪問しています。
以来
1988年 咸陽市との「友好都市締結協定書」締結
1990年 サンブルーノ市(米国)との「姉妹都市宣言書」締結
1998年 仁川広域市中区(韓国)との「友好交流推進協議合意書」締結
2002年 井邑市(韓国)との「友好交流推進協議合意書」締結
2003年 ネストベズ市(デンマーク)との「友好交流合意書」締結
2006年 旧下総町からフォクストン市(ニュージーランド)を姉妹都市として引き継ぐ
と、6都市と友好・姉妹都市関係を築き、相互に行き来する活動を続けています。
「少年の翼」事業では、今までに約1,900人の子どもたちが派遣されています。
また、成田市においては、ラテンフィェスタ、春のお花見交流会、新春を祝う会どを開催し、約4000人の成田在住外国人の環境整備や、成田市民との交流に尽力しています。
【よりいっそうの草の根交流 地域貢献 そして東京五輪】
昨年就任した、第5代理事長の品田 等氏があいさつに立ち、様々な国と相互に文化交流を深めることの意義、世界情勢が活動に影響を与える難しさもあるが、草の根交流の努力を続けること、より一層地域に貢献する事業展開をしていくこと、4年後の東京五輪では、外国人の方々に「成田は良かった」と言っていただけるよう努力していくこと、などを語りました。
【歴代理事長が表彰】
続いて、歴代理事長(第2代:豊田磐氏/第3代:林智樹氏/第4代:豊田順三氏)が、功労者として表彰されました。
1988年に就任し17年理事長を務めた豊田磐さんが代表してマイクを握り、「苦労しましたが、なんとか創立にこぎつけたことを思い出しました。今日は表彰までしていただいて・・・。今後も協会を発展させてください」とあいさつしました。
【国際交流協会の重要性】
来賓として祝辞を述べた、小泉一成成田市長と伊藤竹夫市議会議長からは、30年の協会の熱意と努力に敬意が表され、国際交流の重要性、国際感覚を持つ人材育成、在住外国人の方々の環境整備など、同協会の役割に、ますます期待が寄せられました。
【講演会は「パックンマックンの笑撃的国際交流」】
記念講演会の講師は、お笑いコンビのパックンマックン。
アメリカ人のパックンと日本人のマックンの異国コンビです。
ハーバード大学卒のパックンと、30才過ぎてから英会話教室に通い、ラスベガスやハリウッドで英語漫才をするほどまでになったマックンの、実体験から語られた講演は、大笑いしながら納得できる、とても説得力のあるものでした~。
【交流の第一歩は、「こんにちは」と声をかけること】
彼らが最初にしたことは、会場全体を巻き込んだ自己紹介♪
前後の席同士で、自分のことを3つと日本以外に住みたい国を話すというものです。
人数が合わないところがあり、なんと記者もパックンに声をかけていただいて参加し、初対面の女性と楽しくおしゃべりさせていただきました。
話す前はとまどいの雰囲気もあった会場が、止められなければいつまでもおしゃべりしている雰囲気に、あっという間に変わりました。
「偶然の出会いが、今日の宝物の1つ」と、少しの勇気をもって「こんにちは」と声をかけることが、交流の第一歩と、教えられました。
外国人の方にも「ハロー」と声をかけるより「こんにちは」と言う方が喜ばれるそうですよ♪
【日本人は英語しゃべれますよ】
「英語がしゃべれる人は手をあげて~」の問いに、はじめは誰も手が挙がりませんでした。
しかし、「私の父は銀行で働いています」を、1単語ずつ聞かれると、全員が答えられます。
パックンの「ドイツ語、フランス語、スワヒリ語、タガログ語で言えますか? 言えませんよね。でも、英語ではしゃべれてるじゃないですか~」に、会場も納得。
受験英語は30点でも会話はできる、文章を組み立てなくても、相手がくみ取ろうとしてくれるから、お互いにパズルを解くように会話すればいい、発音は気にしなくていい、初級者の日本人同士でも練習はできる、失敗していい、恥をかいた時が吸収した時、単純に楽しもう、など、考え方の転換がいくつも示された講演会の最後には、「英語がしゃべれる人~?」の問いかけに、全員の手が挙がりました。
外国人には通じない和製英語の例もたくさん挙げられ、「東京オリンピックの時は、成田にもたくさんの外国人がやってくるでしょう。日本の代表者としておもてなししてください」と結ばれました。