Go to ...
RSS Feed

2018-02-20

エリアの歴史

成田の歴史と史跡 64

【市域を領した旗本 2】 〈堀氏〉 堀氏の幕末の当主は貞之助といい、松子村と前林村・津富浦村の三か村の領主である。堀氏の家祖直政は元和七年(一六二一)13歳のときはじめて二代将軍徳川秀忠に拝謁し、この年にのちの三代将軍に

成田の歴史 と史跡63

【市域を領した旗本 1】 〈斉藤氏〉 斉藤氏の幕末の当主は次郎左衛門といい、奈土村の一部の領主である。家祖の利基は越中国新川郡虵(虫へんに也)尾の城主で、天正元年(一五七三)に没している。その子信利は織田信長に仕えていた

成田の歴史と史跡 62

【水国の初秋】 文人水野葉舟は何度も印旛沼を訪れ、そのときの紀行文をいろいろな本に発表している。ここで明治三十九年発表の「水国の初秋」から、船に乗り吉高(現印西市)河岸から成田の北須賀河岸を経て、大竹の下総松崎駅に至る紀

成田の歴史と史跡 61

【落語・成田小僧】  落語に「成田小僧」と題する、三代目三遊亭円遊の持ち噺がある。その一部を紹介してみる。  芸者小千代は、本郷春木町の塗物屋の若旦那清三郎に一目惚れする。しかし清三郎が座敷に呼んでくれないため、ふさぎこ

成田の歴史と史跡 60

【巨人ダイダラボッチ】 成田市内には縄文時代晩期の標式遺跡となっている荒海貝塚など著名な貝塚があるが、貝塚は縄文時代の人々が食べた貝殻を捨てたところだということは、小学生でも知っている。しかし昔はこうした研究はなく、まし

成田の歴史と史跡 59

【千葉常胤の伝承】 千葉氏は桓武天皇から出た平氏の一門で、古代から中世にかけての東国における代表的な豪族である。その第5代が常胤となる。 《海上月越如来》 佐倉市の海隣寺には海上月越如来と称する阿弥陀如来がある。常胤が千

成田の歴史と史跡 58

【芦田の巡礼坂】  成田国際文化会館の前から国道408号線を横切ると、北に向かう主要地方道成田下総線(大室線)に出る。主要地方道をそのまま進んで行くと、道の上に成田メモリアルパーク橋が架かり、その先に赤荻の集落が見える。

‹‹Newer Posts