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2018-12-11

エリアの歴史

成田の歴史 と史跡 74

【吉岡の長者】 むかし吉岡に「野田どん」と呼ばれる長者がいた。近隣に三六町歩の田んぼを持っており、田植えをするときは何百人という奉公の娘を使って、一日で終わらせるようにしていた。 ある年のこと、番頭が指示して田植えをして

成田の歴史 と史跡 73

【絵かき歌】 民俗学の研究対象に言語伝承という分野がある。文字の力を借りずに、口から耳へと伝えられた文芸で、口頭伝承ともいう。昔話・伝説・わらべ歌・方言などが言語伝承になるが、その一つに絵かき歌がある。 絵かき歌は物や動

成田の歴史 と史跡 72

【地名の変遷2】 〈鋪里新田〉 大須賀川支流の下田川上流にあった村。佐倉牧のうちの矢作牧に接した林を開墾した新田で、享保十六年(一七三一)に鋪里新田の名で検地が行われ、村が成立した。村名は南敷村・馬乗里村両村の名から敷(

成田の歴史 と史跡 71

【地名の変遷1】 成田市の地名にもいろいろ歴史があり、なかには事情があって消滅した地名もある。そのなかからいくつかを紹介する。 〈公津村〉 式内社の台方の麻賀多神社のための港、神の津が印旛沼にあったことに由来する。寛永十

成田の歴史 と史跡 70

【堀田正睦の成田山参詣】 佐倉藩は代々将軍家に近い譜代大名が封ぜられ、幕府の最高職である老中には、歴代藩主20人中8人がなっているほどである。その一人に堀田正睦(まさよし)がいる。正睦は早くから開国論を主張した人物で、日

成田の歴史 と史跡 69

【埴生次郎時常】 埴生次郎時常は、鎌倉時代に埴生庄と呼ばれていた現在の成田市西部の庄園を領していた武将である。時常の系譜を『千葉大系図』で見ると図のようになる。常胤は千葉氏の当主にして、源頼朝の全国制覇に功績があり、そし

成田の歴史 と史跡 68

【市域を領した旗本 6】 〈酒井氏〉 酒井氏の幕末の当主は六三郎といい、久井崎村の一部の領主である。酒井氏の家祖は忠正で、慶長十二年(一六〇七)に召されて二代将軍徳川秀忠に仕え小姓となり、同十六年には従五位下下総守に叙任

成田の歴史 と史跡 67

【市域を領した旗本 5】 〈酒井氏〉 酒井氏の幕末の当主は作次郎といい、一坪田村の一部の領主である。酒井氏の家祖は吉勝で、三河国において徳川家康に仕えており、のちに徳川秀忠に奉仕して御膳奉行となり、五〇〇石を知行した。酒

成田の歴史 と史跡 66

【市域を領した旗本 4】 〈能勢氏〉 能勢氏の幕末の当主は小太郎といい、吉岡新田(現新田)の領主で、八六石余を知行していた。家祖頼員は紀伊国和歌山藩の徳川家に仕えていた。和歌山藩の徳川家は紀伊家ともいい、徳川の御三家であ

成田の歴史と史跡 65

【市域を領した旗本 3】 〈上田氏〉 上田氏の幕末の当主は栄助といい、伊能村の一部の領主である。家祖の元次は松平清康・広忠の親子に仕え、幼少の徳川家康が駿河国の今川義元の人質となったときは供奉しており、純粋の譜代といえよ

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