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2018-06-18

エリアの歴史

エリア再発見 岩﨑 久彌伝⑤ 最終回

【久彌の想い遥かに】 三菱の社長であった久彌は自己の趣味には幾分遠慮がちであったと伝えられますが、社長の任を離れると一気に農牧事業へと傾倒していきます。久彌は政治に全く関心がなく、また、他と争うことを好みませんでした。自

エリア再発見 岩﨑久彌伝③

【末廣農場の隆盛】 正彌は末廣農場の経営に洋式の養鶏法を導入し、箸でちぎれるくらいの柔らかな肉を生産しました。これらの肉は宮内省や大使館などに卸され、生産コストの高い高級品であったことから、営利事業としては失敗に終わりま

エリア再発見 岩﨑久彌伝②

【末廣農場の誕生】 明治3年(1870)、かつて徳川幕府の直轄牧であった富里の地は、明治政府によって開墾地として利用されることとなります。これは幕府の終焉によって職を失った武士や商人など、「窮民」と呼ばれる人々を救済する

エリア再発見 岩﨑 久彌伝①

【岩﨑久彌と三菱社】 昨年12月24日。富里市初となる国登録有形文化財「旧岩﨑家末廣別邸」が誕生しました。この別邸を建てた岩﨑久彌とはどのような人物だったのでしょうか。 岩﨑久彌は慶應元年(1865)8月25日、土佐国安

成田の歴史 と史跡 80

【印旛沼干拓失敗のやじ】 前回書いたように、天保年間の老中水野越前守忠邦が考えた印旛沼干拓は、水野の罷免により失敗に終わった。このため幕府を罵倒する噂話や逸話がいくつも伝えられた。ここに紹介する、現役の力士名にかけ合わせ

成田の歴史 と史跡 79

【印旛沼干拓の失敗】 成田市の北端を流れる現在の利根川は、銚子市と茨城県神栖市の境において太平洋(鹿島灘)に注いでいる。だが、もとの利根川は東京湾に注いでいたのである。天正18年(1590)8月に江戸に入った徳川家康が、

成田の歴史 と史跡 78

【性学万能】 農業に使う道具といえば、代表的なものは鍬である。用途は農作物の周辺の土を掘り起こし雑草を取り除く、農作物の根のまわりに土を盛り上げる、土を掘ったり動かしたりする、雑草および根や作物の残滓(ざんし)を切り刻ん

成田の歴史 と史跡 77

【印旛沼の網漁】 成田市の西側に接して印旛沼がある。沼は周辺の農村にとって古くから漁撈の対象となった場所であり、いろいろな漁法が伝えられている。ここでそのなかの網漁の一部を記してみる。 ○チョウチン網 オシ網またはオッカ

成田の歴史 と史跡 76

【成田山出開帳の評判2】 『遊歴雑記』 (十方庵敬順著) 江府(江戸)深川八幡宮社内に今年文政四辛の巳三月中旬より五月の半過まで、下総成田不動尊の開帳ありて、日々参詣引もちぎらず群集せり。(中略)此開帳につき東都(江戸)

成田の歴史 と史跡 75

【成田山出開帳の評判1】 江戸時代は浄財(賽銭や寄附金)を得るために全国各地で盛んに開帳が行われたが、なかでも当時最大の都市である江戸での開帳は、より多くの浄財が得られるため、他国の寺社は挙って江戸へ出向き、出開帳を行っ

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