成田の歴史 と史跡 74

【吉岡の長者】

むかし吉岡に「野田どん」と呼ばれる長者がいた。近隣に三六町歩の田んぼを持っており、田植えをするときは何百人という奉公の娘を使って、一日で終わらせるようにしていた。
ある年のこと、番頭が指示して田植えをしていた。あと少しで田植えも終わりというとき、猿が鹿の上にまたがって田んぼの側を通るのを娘が見つけ、それを番頭に告げた。番頭も驚き「皆見てみろ。猿が鹿にまたがっているぞ」と、娘たちに教えた。娘たちは「本当だ、猿が鹿にまたがって田んぼを渡っているぞ」と、手を休め全員でしばらくその様子をながめていた。この休んだ時間が災いして田植えは一日で終わらなくなったのである。
そこへ長者が仕事ぶりを見に来た。田植えがはかどっていないことから、長者は番頭に「お前がつまらないことをいうから田植えが終わらないのだ。今日中に終わらないとお前はクビだ」とこらしめた。番頭はこれを悲観して、沈みゆく太陽に「オテントウ様、沈まないでもう一度戻ってくれ」と訴えたのである。すると沈みかけた太陽が上昇し、その結果また明るくなり、ようやく全部の田植えを終わらせることができた。
しかし数日後、この番頭は太陽を戻したバチで病気にかかり、七日七晩苦しみ、ついに亡くなってしまった。その後、この場所を鹿(しし)渡しと呼ぶようになり、ここで田植えをするときは前を見たり手を休めてはいけないとされている。
(北囲護台 小倉 博)

鹿にまたがった猿
鹿にまたがった猿

この記事を書いた人

Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。