成田の歴史と史跡 58

【芦田の巡礼坂】  成田国際文化会館の前から国道408号線を横切ると、北に向かう主要地方道成田下総線(大室線)に出る。主要地方道をそのまま進んで行くと、道の上に成田メモリアルパーク橋が架かり、その先に赤荻の集落が見える。赤荻からさらに北に進むと芦田地区の長い坂道になる。この坂を巡礼坂と呼んでいる。  この坂を夜半に通ると、決まって巡礼姿の美しい女性が反対側から歩いてきてすれ違いになる。あまりの美しさにもう一度見ようと振り返ってみると、その女性の姿は忽然として消えているという。坂道から左右に入る道はないのに姿を消しているのである。  巡礼とは各地の神社仏閣・霊場をめぐり歩いて参詣する人で、遍路ともいう。俳人松尾芭蕉が元禄2年(1689)に東北・北陸を巡遊して『奥の細道』という紀行文を書いているが、その中で出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)でのことを「坊に帰れば、阿闍梨の需(もとめ)に依て、三山順(巡)礼の句々、短冊に書く」と記している。  何かのわけがあって巡礼となった女性が、流れ流れてこの坂道に来たとき、長年の病によりここで没し、その御霊(みたま)が現れるのであろうか。あるいは狐のしわざであろうか。  今でもこの坂道は周囲に人家は1軒もなく、木々に囲まれた寂しいところである。巡礼の伝説を知っている人にとっては、恐ろしさを増すばかりであり、夜半に歩く人は皆無であろう。  (北囲護台        小倉 博)

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Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。