成田の歴史と史跡 62

【水国の初秋】
文人水野葉舟は何度も印旛沼を訪れ、そのときの紀行文をいろいろな本に発表している。ここで明治三十九年発表の「水国の初秋」から、船に乗り吉高(現印西市)河岸から成田の北須賀河岸を経て、大竹の下総松崎駅に至る紀行を紹介してみる。
(吉高の渡し守の小屋に行くと、四十五六の肥った船頭が火を焚いていた。)自分が来たのを見ると、「旦那どちらへ。」と聞くから、渡して貰いたいと言って、中に入った。いろいろ話をして居る中、自分が大竹に行くと言ったので、船頭は、それならば、大竹の下まで船を出さうと言ふ。これは存外な幸ひだと思って、早速頼んだ。
船は吉高の対岸(北須賀)に着いた。そこから次第に岸に沿って行く。沼の中には、もくが叢生して居て、船がその上を行くので、船底に藻の葉が触る音がする。例へ様のない静かな音だ。耳をすまして聞いて居ると水の底からさゝやくものが有る様な思ひがされる。沼は見るまに海の様に広くなった。(中略)
船はやがて葦が叢生して居る洲を廻って、岸近く、ポプラが点々と茂って居る間を進んで行く。其の時、成田から出た汽車は、烈しい音をして通った。その響が沼の面を伝はって、次第に消えて行く。何たる静かな、だるい思ひであらう。
やがて大竹に着いた。停車場に行って、次の汽車の時間を見ると、十時十分であったので、前の茶店に入った。
(北囲護台 小倉 博)

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Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。