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エリア再発見 岩﨑 久彌伝⑤ 最終回

【久彌の想い遥かに】

三菱の社長であった久彌は自己の趣味には幾分遠慮がちであったと伝えられますが、社長の任を離れると一気に農牧事業へと傾倒していきます。久彌は政治に全く関心がなく、また、他と争うことを好みませんでした。自然に接し、台地を愛しむという姿勢が久彌の性格そのものでした。
GHQの占領政策によって東京の本邸を物納することになった久彌は、昭和24年(1949)6月21日、末廣農場内に建てられた「末廣別邸」へ越してきます。しかし、同年9月24日、大好きな鶏に囲まれながら起居する静かな余生を送ろうとする久彌にアダムストークス症候群(心臓病の一種)という病魔が襲いかかり、長い闘病生活を余儀なくされます。
昭和30年(1955)、久彌は90歳という高齢を迎えました。決して驕ることなく、すべてのものに感謝しながら「カントリージェントルマン」として農牧の改良に捧げた人生でしたが、高血圧と老衰の進行は医師も絶望視するほどとなり、同年12月1日には更に病状が悪化、近親者一同が枕頭に集います。庭先の木の葉の落ちる音さえ聞き取れそうな、静寂で息詰まる数時間が過ぎた夜半の1時15分、ついに久彌激動の人生に幕が下ろされました。「苦痛はなく、眠るような大往生であった」と岩﨑久彌傳は伝えます。
久彌の想いを伝える場所、それが「旧岩﨑家末廣別邸」なのです。       (了)
(富里市生涯学習課
林田利之)

最晩年、末廣別邸で家族と過ごす久彌 (岩﨑久彌傳より転載)

最晩年、末廣別邸で家族と過ごす久彌
(岩﨑久彌傳より転載)

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