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エリア再発見 岩﨑久彌伝③

【末廣農場の隆盛】
正彌は末廣農場の経営に洋式の養鶏法を導入し、箸でちぎれるくらいの柔らかな肉を生産しました。これらの肉は宮内省や大使館などに卸され、生産コストの高い高級品であったことから、営利事業としては失敗に終わります。大正4年(1915)、正彌が東京の工業会社に異動となったのを機に末廣農場は休止状態となります。農牧事業を行うことが夢であった久彌が農場を検分し、同8年(1919)から自身が農場経営に携わることになります。
久彌は、自身で興した東山農事株式会社に事業経営を委託し、自らは事業運営と技術面について指揮をしました。また、農場長であった橘常喜に対して「採算を度外視して、畜産界の改良進歩に資し得る模範的実験農場を作って貰いたい」という言葉を残すなど、人の為に役立つ農場を作り上げることこそが久彌の夢だったのです。
末廣農場では養鶏・養豚は言うに及ばず、最新の設備と機械を導入した先進的農法が実践されると共に、数多くの研究が実践され、日本の農業牧畜研究に多くの功績を残します。また、ハム、ソーセージ、ベーコンなど、加工食品の自家生産も行われ、農場経営の理想形が完成しました。
これらの実績を認めた千葉県農業試験場は、末廣農場に対して白菜や西瓜の原々種栽培を委託しており、末廣農場の「技術力」と「信頼性」の高さを窺い知ることができます。          (つづく)
(富里市生涯学習課 林田利之)

岩崎久弥伝③

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