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エリア再発見 岩﨑 久彌伝①

【岩﨑久彌と三菱社】

昨年12月24日。富里市初となる国登録有形文化財「旧岩﨑家末廣別邸」が誕生しました。この別邸を建てた岩﨑久彌とはどのような人物だったのでしょうか。
岩﨑久彌は慶應元年(1865)8月25日、土佐国安芸郡井ノ口村(現高知県安芸市)で、三菱の創業者である岩﨑彌太郎とその妻喜勢の長男として誕生しました。
久彌は慶應義塾、三菱商業学校に学んだ後、父彌太郎が病没した翌明治19年(1886)に米国ペンシルベニア大学に留学、財政学などを学びます。同年、彌太郎の志を継いだ実弟の彌之助は海運業からの撤退という英断を下し、新たに「三菱社」を創立。鉱業や造船など、海上から陸上への事業に転身を果たします。また、明治26年(1893)には、商法の施行に際して会社を改組し、「三菱合資会社」を設立、同時に甥である久彌に社長の座を譲ります。
その後久彌は、23年間にわたって三菱社の経営を主宰して、新たに神戸に製糸会社を設立するなど社業を拡充し、鉱業、銀行、造船、商事、地所などの諸事業でも大躍進を果たしました。また、久彌が社長を務めた期間は国内で殖産興業、産業革命、重工業形成が重なった時期でもあり、時代の追い風に乗って、叔父彌之助によって築かれた事業の近代化と新たな事業を興して三菱の多角経営化に努めました。大正5年(1916)、久彌は従兄弟である岩﨑小彌太に社長の座を譲り、農牧事業へと邁進していきます。 (つづく)
(富里市生涯学習課  林田利之)

岩崎久弥伝①

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