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成田の歴史 と史跡 75

【成田山出開帳の評判1】

江戸時代は浄財(賽銭や寄附金)を得るために全国各地で盛んに開帳が行われたが、なかでも当時最大の都市である江戸での開帳は、より多くの浄財が得られるため、他国の寺社は挙って江戸へ出向き、出開帳を行っている。成田山も江戸出開帳は10回である。ここでその盛況ぶりを当時の書物から見てみよう。
『嬉遊笑覧』
(喜多村信節著)
「深川永代寺に成田不動開帳の蠣殻の竜(中略)江戸にて開帳あるに何時にても参詣群聚するは、善光寺の弥陀と清涼寺の釈迦仏、また成田の不動などなり」
文化三年(一八〇六)の出開帳で、開帳場に蠣殻(かきがら)で作った竜が奉納されているとある。また江戸の開帳でいつも参詣人が群集するのは、善光寺の阿弥陀如来と京都清涼寺の釈迦如来、それに成田山の不動明王だとしている。
『ひとりね』(柳沢淇園著)
「成田の不動開帳のよし、市川団十郎まかり出て取持けるよし、群集袖をかさぬるといふは前かたの事也。いつその事に人にてふきしごとく、三升(みます)の紋付し女中さぞさぞ思ひやらるる」
文化三年の出開帳のこと。人気役者七代目市川団十郎が成田山の開帳の世話人となったため、開帳場は群集で埋まり袖を重ねるような賑わいとなっている。団十郎の袖に触れた女性は喜んでいるとしている。三升の紋とは団十郎家の家紋。
(北囲護台 小倉 博)

成田山の江戸出開帳

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