目からウロコの認知症理解! 第一人者杉山ドクターの映画と講演 ② (全4回)

「知は力なり。まずは認知症をよく知りましょう。理解するための3原則があります」と杉山先生。

《認知症の人の激しい言動を理解するための3原則》

 ◆第1原則:本人の記憶になければ、本人にとっては事実ではない
◆第2原則:本人が思ったことは、本人にとっては絶対的な事実である
◆第3原則:認知症が進行してもプライドがある

「介護者に向かって暴言を吐く」「突然怒り出して、周囲の人に殴りかかった」「やさしく説明したのに聞き入れない」などのように、多くの人は、認知症の人が自ら「一次的に」激しい言動をする、と考えています。
しかし、認知症の人の言動の大部分は、「二次的な言動」、つまりこの3原則を理解できていない周囲の人の言動に対する反応(リアクション)なのです。

こんな例も話されました。
「施設で、大人しくて何も言わない人にだけ暴言を吐く認知症の人がいて、『そんな行動も二次的言動なのですか?』と聞かれたことがありますが、私はそれも『いつも無視される』と捉えている二次的言動なのではないかと思っています」。

「お金を盗まれた。財布を返せ」「ご飯を食べてない」と認知症の人が言えば、それは本人にとっては事実。
説得は無理なのだそうです。
事実ではなくても肯定して謝り、一緒に探す演技をしたり、もう一度ご飯を出したり、その場その場を切り抜ける知恵が必要。
本人が安心すれば、落ち着くそうです。

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《なぜ認知症になりたくないか》

 ◆衰弱に対する嫌悪感
誰もが持つ感情ですが、人間は病気で亡くなるにせよ老衰で亡くなるにせよ、最終段階は認知症状態なのだそうです。
なぜなら認知症状態になると、痛みの感じ方も鈍くなるから。
苦しみ、痛みを伴う病気には、薬で意識コントロールを下げる場合もあるとか。
認知症になることによって、意識が下がると、本人は楽になる・・・。
ある意味、自然の摂理なのでしょうか・・・。

 ◆家族に迷惑をかけたくないという思い

認知症の人との比較対象として語られたのは、乳幼児でした。
「人間は4歳までは認知症と同じ症状を示しているのに、なぜ受け入れられるのか」という問いかけがされました。

①基本的な理解の仕方が違う
お漏らしをしても、乳幼児は当たり前と思われる
②社会的援助の内容が違う
乳幼児には、長時間預かってくれる保育所があったり、予防接種など制度も整っている。
認知症の人を長時間預かってくれるデイサービスは、なかなかない。
③乳幼児は体重が軽くて、大人は重い
乳幼児は、ベビーカー、おんぶ、抱っこなどで連れて歩けるが、高齢者は難しい。
体重は軽くならないので、訪問診療や訪問看護、車いすや電動リフトなどの介護用品、制度で軽くすることが必要。
④乳幼児は成長する楽しみ、大人は衰弱してく不安
「大学まで行けば、子どもは最低22年間、親のすねをかじり続けますが、高齢者はそんなに長くは生きられません」と、視点を変える提案がされました。
⑤種族・個体保存に関する本能的な相違
「人は、我が身に変えても子どもを守ろうとしますが、なかなか我が身に変えて高齢者を守るという意識にはなりにくい。しかし、社会をあげて高齢者を大切にする意識改革が望まれます」

認知症になることが、すべて悪いのか・・・。
認知症の人にも乳幼児と同じような社会的理解と援助を! と杉山先生は訴えます。  (続く)

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この記事を書いた人

Keitaro Sasaki

Keitaro Sasaki

千葉県成田市在住。成田エリア新聞(紙面版)編集長(2008-2014)以後はオンライン版の当サイトにて成田の情報を発信しています。成田を盛り上げるため、いろんなところに首を突っ込んでいます。